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【西国三十三所巡り 7】京さんぽ2 南禅寺から清水寺、六波羅蜜寺を歩く【2020/11/16】

さて、先日紅葉の始まった京都を少し散歩してきました。蹴上近辺のインクラインから南禅寺へ、そして清水寺を経由し六波羅蜜寺へと西国三十三所巡りをかねた京都散歩です。

今回はその2として南禅寺から知恩院を通り清水寺、六波羅蜜寺へ散歩した記録です。

その1はこちら。

【旅日記】京さんぽ1 琵琶湖疎水インクラインを歩く【2020/11/16】
さて、先日紅葉の始まった京都を少し散歩してきました。蹴上近辺のインクラインから南禅寺へ、そして清水寺...
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西国三十三所巡り

西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)は、近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場の総称。これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れている。

「三十三」とは、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)に説かれる、観世音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与るために三十三の霊場を巡拝することを意味し、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。 令和元年に日本遺産に認定された。

~Wikipediaより

四国お遍路は弘法大師の足跡をたどる旅でしたが、西国三十三所巡りは観音菩薩を巡る旅であります。四国お遍路と違い、歩いて巡拝する人は少ない。近畿の有名なお寺を巡る、観光ツアー的な要素が大きいかもしれません。

西国三十三所 巡礼の旅

旅日記

南禅寺を後にして、知恩院方面に向かって歩いて行きます。大きな通りは避けて、裏道を。

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風情のある料亭の前。紅葉が美しくて。

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しばらく進むと南禅寺の総門がありました。もともとはインクラインの上に架かる南禅寺橋の袂にあったそうですが、琵琶湖疏水工事のため明治十九年(1886)、この場所に移築されたそう。

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しばらく歩いて、知恩院前。ここへ来るまでの道が結構なアップダウンがあって、ちょっと疲れる。今回は知恩院には立ち寄らず。三門を眺めるだけで。

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圧縮効果を狙って望遠で撮ってみました。石段の詰まり方が面白いかもと。

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昼食はサンドイッチをコンビニで買って、円山公園にて。以前テレビで見て知ったラジオ塔なるものを見たかったのです。

昭和初期に日本各地に作られたラジオ塔ですが、現存するものは50個ほどとかなり少なくなっています。ラジオ塔については、デイリーポータルZの↓この記事が面白いです。ラジオ塔を研究されている方が撮影した、現存するラジオ塔の写真も載っています。

近所にあるかも?戦前の街頭ラジオの痕跡「ラジオ塔」
戦前から戦中にかけて作られ、今なお日本各地に点在しながらもほとんど知られていないものがある。街頭ラジオの痕跡「ラジオ塔」だ。その魅力を聞いてきた。 (岡本智博(オカモトラボ))

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ラジオ塔を探している途中、円山公園の駐車場入り口がありました。RPGのダンジョンの入り口風でなんか良いなと。

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円山公園では名前みくじがあったので、ひいてみました。

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「学」という字を見つけるのもひと苦労でした。内容は大吉とかではなくて、姓名判断のようなものでした。

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円山公園のすぐ隣は、八坂神社。

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八坂神社から南下して、法観寺八坂の塔を過ぎる。

産寧坂あたりから、観光客多数。海外からの旅行客が減ったとはいえ、さすが京都の観光地。修学旅行生なども多数いる。清水坂に合流すると、さらにいっぱいの人。

歩くのもなかなか進まず、清水寺へ行くのをやめようかとも、一瞬思ってしまう。しかし、ここまで来てやめるのはもったいないと思い直し、ゆっくりとではあるのですが、清水寺へ向かいます。

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仁王門前でもたくさんの方が記念写真を撮っているので、人の写り込みが少なくなるように撮影。

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入山料を払って、小学6年生ぶりの清水の舞台を。とにかく人がたくさんいて、写真を撮るのもひと苦労。それにしても清水寺では、観音様にお参りするよりも清水の舞台から眺める景色のほうがメインになってしまいました。今改めて振り返ってみると、本堂の中の様子をほとんど覚えていません。本堂をすぎて、御朱印をいただく。

清水の舞台の写真は奥の院をすぎたところからのもの。この時は修復工事中で工事用の足場があったのですが、これは2020年12月2日まで。3日からは立ち入りが制限されていた舞台も解除されています。工事用の足場がある風景の方が、よりレアということになります。きれいな風景はずっと残り続けますが、こういった工事中の風景は残りづらく、逆にいとおしく思えてしまいます。

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舞台の下からの工事用足場の風景も。

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なぜか阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の碑がありました。

坂上田村麻呂が蝦夷征伐に出かけた時に抵抗したのが、アテルイです。戦いの末、降伏したアテルイの恩赦を田村麻呂が願い出たそうです。しかし、それは受け入れられず処刑されたのでした。

清水寺は坂上田村麻呂が寺院を建立したということで、その関わりから1994年に慰霊碑を建立されたとのことです。

アテルイと坂上田村麻呂と清水寺
今回はアテルイと坂上田村麻呂と、京都の清水寺についてのお話をさせていただきます。

アテルイに関してはちょっと興味がありますが、今のところよくわからず。私が小学生の頃はアテルイなんて習わなかった気がします。

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池のあるところから三重塔を。

とにかく人が多くて、あまりゆっくり出来なかった清水寺。本当は人が少ない時にでも、ゆっくりと時間をかけて見て回りたいところですが、まず無理でしょうね。

帰りは茶わん坂という名の通りを歩いて行きます。産寧坂などの他の坂道に比べ、こちらは人が少なくて歩きやすい。清水寺へゆっくりと行きたい人はこの坂から行くのが良さそうです。

その後はしばらく歩いて、六波羅蜜寺へ。途中、冥界への入り口の井戸があるという六道珍皇寺を通り過ぎる。こちらのお寺も興味深いのですが、今回はスルー。

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住宅街の中にひっそりと佇む六波羅蜜寺にやって来ました。こちらのお寺で有名なのはなんといってもこちら↓

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口から六体の仏様が出ている、空也上人立像ですね。

こちらを是非見てみたいと思っていました。なお、六波羅蜜寺のご本尊は十一面観音立像、12年に1度辰年にのみ開帳される秘仏です。

本堂でお参りを済ませると、宝物館へ。こちらでは空也上人立像以外にも、数々の重要文化財の仏像が見られるのですが、驚いたのは実在の人物の像のリアルさ。

空也上人以外にも平清盛坐像や運慶・湛慶の像など、そのリアルなこと。仏像と違って人物をそのまま写したかのような像に震えました。肖像画なんかはディフォルメされた姿であって、ここにある像こそが本当の姿であると。

西国三十三所巡りは観音様巡りではあるのですが、観音様でない像に心が奪われたのでした。

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浄心苑入り口に首だけの大仏様がありました。こういうのも好きです。

今回の散歩はここで終わりです。清水寺までは結構なアップダウンがあって思っていたより疲れました。この後は三条京阪駅まで歩いて、電車で帰りました。

御朱印

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