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「渚にて」に見る世界の終わりの迎え方と「100日後に死ぬワニ」

さて、新型コロナウイルスが猛威を振るっているようです。ヨーロッパやアメリカの状況を見ていると、これは世界が終わりを迎えるかもしれないと思えてします。

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私は悲観的な人間だし、あまりこの世に希望をいだいていないので、特にそういう風に思ってしまうのかもしれません。そんな中、マスクの購入を巡って諍いが起きたり、トイレットペーパーや食料品の買いだめでパニックになっている報道を見ると、なぜか「渚にて」という古いSF小説のことを思い出だしました。

「渚にて」というタイトルだと、ただのロマンチックな作品と思ってしまいますが、副題は「人類最後の日」です。核戦争後、世界全土に放射能汚染が広がり、南半球のオーストラリア周辺の一部を除いて人類は絶滅。放射能は南半球にも迫ってきていて、いずれは自分たちも死んでしまう。その終わりをいかに迎えるかを描いた作品です。イギリス人作家ネビル・シュートによって1957年に書かれ、1959年に映画化、2000年にはテレビドラマ化(邦題は『エンド・オブ・ザ・ワールド』)されています。

1959年の映画はグレゴリーペック主演で、英国アカデミー賞監督賞や日本のブルーリボン賞外国作品賞を受賞しているので、見たことのある人も多いと思います。

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近いうちにみんな死ぬことがわかった中で送る日常。普通ならパニックが起こったり、醜い争いが起こったりするのでは? と思ってしまいます。でも、小説の中の人たちはそのようにはなりません。精一杯、日常を楽しみます。当時の作者は、人間はそれほど愚かでは無いと知っていたのでしょう。事実、核戦争は起こらず、小説が警鐘したようにはなりませんでした。

しかし、治療方法がまだみつからない未知のウイルスの感染拡大に、人は右往左往し、所々でパニックは起こっている。そんな姿を見ていると、実際はそんなものなのだと。人としての尊厳を持って過ごした小説の中の人たちのように、当たり前の日常を送りたいなと思ったわけです。

そして、もうひとつ。最近話題になった、Twitterで連載された「100日後に死ぬワニ」。終了後の怒濤のマーケット展開で、ずいぶんとバッシングを受けましたが、内容に罪はありません。

こちらの主人公のワニは、自分が死ぬことを知りません。(生き物はいずれは死ぬのですが、それは別として)生きているのが当然として、日常を過ごしています。だから普通に過ごせている。これが読者と同じように、あと何日で死ぬか、ワニが知ったらどのような行動をするだろう。

死ぬことがわかった上で冷静に日常を送る、「渚にて」の人々。死ぬことを知らずに日常を送るワニ。どちらもパニックにならずに、淡々と日常を送るだけです。どちらにしろ、同じなんだなと。

世界の終わりが来るか来ないかはわかりませんが、普通に日常を過ごせたら。

まぁ仕事もせずに自宅にいるひきこもりニートなので、出かけるのは食料品や日用品の買い物くらい。ちょっと腰のヘルニアが再発してしまって、大好きな自転車やせっかく購入したスーパーカブでのお出かけも、最近は出来ておりません。

日がな一日パソコンとにらめっこで、こんなことばかり考えております。