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【わが町】番条環壕集落を歩く

さて、久しぶりの奈良県大和郡山市のオススメを紹介する、【わが町】シリーズ第4回目。今回は番条環濠集落の紹介です。

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環濠集落とは

環濠集落(かんごうしゅうらく)とは、周囲に堀をめぐらせた集落(ムラ)のこと。水稲農耕とともに大陸からもたらされた新しい集落の境界施設と考えられている。~Wikipediaより

簡単にいうと、堀に囲まれた集落のこと。吉野ケ里遺跡に見られる弥生時代のものと、奈良盆地に見られる中世のものがあります。今回紹介するのは、奈良盆地に残る中世(南北朝〜室町時代)のものです。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説によると、

近畿地方、とくに奈良盆地を中心にみられる特殊な集落形態で、幅4~5メートルの濠(ほり)(堀)を人為的に掘り巡らした集落。城壁と外堀を巡らした一般の城砦(じょうさい)都市をさすのではない。その起源は明らかでないが、中世の社会不安の時代に、村落民が自衛のために堀を掘って村落を防御した名残(なごり)とされている。しかし、奈良盆地の村落の環濠は、条里の溝渠(こうきょ)に基づいて、それを中世に拡大したものもあるとすれば、古代にまで起源をさかのぼることも考えられる。また、奈良盆地は夏には降雨が比較的少なく、水不足が生じやすかったので、環濠に灌漑(かんがい)水を蓄えて利用したことも、奈良盆地に環濠集落が残存した一因ともいえる。[織田武雄]

奈良盆地にたくさん残る環濠集落ですが、堀を埋め立てられたところもおおく、当時の姿のまま残っているところは多くありません。今回紹介する番条環濠集落も、ちょっとわかりづらい環濠集落です。

番条環壕集落を歩く

番条環濠集落はJR郡山駅から、南に2kmほどはなれた、佐保川沿いの東側にあります。googleの航空写真では、環濠の様子はわかりづらいですが、地図だとわかりやすくなってます。

佐保川沿いに、南北に町が構成されています。壕はかつての姿を残すものは少なくて、整備された溝のようでした。

佐保川沿いを歩いて行きました。このあたりの佐保川沿いは近年、京奈和自転車道として整備されています。本日は晴天。風が少しあって、それほど春らしい暖かさではなかったのですが、歩いていると、体は温かくなってきました。

私の住むJR郡山駅近辺からだと、ゆっくり歩いて30分ほどです。

北側から環濠集落内へ入っていくと、しっかりとした濠が残っていました。これは西側を向いて撮ったもの。

こちらは東側を向いて撮ったものです。

北西に残るこの部分が、昔ながらの濠でしょうか。

環濠集落内には、神社が必ずあります。熊野神社。

シンプルな本殿。床がかなり高いように思いました。

境内にあった木。2本の木が絡みあうようになっていました。

番条環濠集落を代表するのが、中谷酒造。定期的に酒蔵見学会も開催しており、番条の歴史や酒造りについての講習をしていただけるようです。

大和郡山 中谷 / 中谷酒造株式会社
奈良県大和郡山、江戸時代から受け継がれる老舗、日本酒の酒蔵

駐車場には、桜の木がきれいに咲いていました。

古いフォルクスワーゲン ビートルが置かれていました。現役のようで、古い町によく似合いますね。

集落区の南東側には、藪大師堂があります。番条は真言宗の信仰の厚いところだそう。各戸が四国88カ所の札所に相当する厨子を持っており、毎年4月21日の「お大師さん」と呼ばれる春祭りに、厨子を各家の門に出し、飾り付けをして御供えをするという。集落を一周すれば、88カ所巡りができるわけです。これは面白そうですね。

今も残る濠の名残です。集落内は立派な家が多く残っています。個人宅なので、写真は撮っていないのですが、かつては栄えていたことを物語っています。

以前紹介した、稗田環濠集落に比べると、規模は小さいですし、当時の姿もあまり残っていません。しかし、集落の様子はこちらの方が、昔ながらの建物が多いような気がします。しかも立派な家ばかりです。

説明板があるわけでもなく、観光地として整備されているわけではありませんが、素朴な町の様子が今も残り、ちょっと訪れてみるのも面白いと思います。

お酒が好きな方は、中谷酒造の定期酒蔵見学会に参加して、その後、集落内を散歩するなんて良いでしょうね。