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【ラノベの源流を読む2】新井素子『いつか猫になる日まで』を読んで

さて、今回も名作単巻ラノベから少し離れて、新井素子さんの作品を読んでみました。今から40年前にコバルト文庫から発売された「いつか猫になる日まで」です。

コバルト文庫作品をラノベとするかどうかは意見があると思いますが、80年代の新井素子作品はラノベの源流と考えています。

いつか猫になる日まで

著者:新井素子
イラスト:四位広猫
文庫:コバルト文庫
出版社:集英社
発売日:2005/4
データはコバルト文庫新装版のものです。

あたしは海野桃子。20歳。親友のあさみが家に泊まった夜、あたしは奇妙な夢をみた。あたし、あさみ、中学校の同級生の殿瀬君、知らない3人の計6人で、ずっとなにかを待っている夢。あさみも同じ夢をみたっていう。ふたりで出かけると、殿瀬君と再会!しかも殿瀬君の連れは夢に出てきた男の人!さらにはUFOの墜落現場に出くわして…!?UFOを乗っ取った桃子たち6人の冒険。

私が読んだのは1996年に出版された愛蔵版です。コバルト文庫版を元にあとがきが、愛蔵版あとがきになっております。2005年にコバルト文庫では新装版が出版されており、あとがきは新装版あとがきです。すべてのバージョンであとがきは違うものとなっています。

読んだ感想

「1人は統率、1人は情報、1人は技術、1人は生命、1人は攻撃。そして今1人は切り札」。特殊能力を与えられた6人の男女が、宇宙人同士の戦いに巻き込まれる物語です。

1980年発売の新井素子長編第1作目で、コバルト文庫に書き下ろし作品。デビューのきっかけとなった奇想天外社が倒産し、集英社が手を差し伸べてくれたとのこと。ちょっと甘くてコバルト文庫らしい、少女向けらしい、SFに恋愛を絡めた話です。SF(サイエンス フィクション・スペースファンタジー・少し不思議)というよりは、テイスト的には冒険活劇といった方がよいのかも。ドタバタ活劇的というか。

ただ、宇宙での戦いなど荒唐無稽すぎで科学的には問題はたくさんあるし、戦闘シーンも冗長です。多分、描きたかったのは戦闘後なので、戦闘シーンはこんなにもいらないと感じます。ドタバタ活劇に見せかけた、どんでん返しの前フリが長いというのでしょうか、読んでいて飽きてきました。ただ、最後の着地点はSFです。

新井素子作品は30年くらい前に、何作か読んでいるのですが、こちらを読むのははじめて。「あたしの中の……」と同じコバルト文庫作品といっても、「あたしの中の……」は一般向けに書かれたもので、こちらは最初から少女向けに書かれたもの。「星を行く船」シリーズと同じく、ちょっとこれは苦手な作品です。もちろん、想定外年齢の読者なので、当然と言えば当然ですが。

年をとってから読むと、物語を素直に読まず、横から眺めるように読めるようになるものです。

どうやったって、あたしはあたしなんだ。あたしには、あさみや姫や他の人みたいな特技、ない。でも、それは悩んでも仕方のないことなのよ。だって、あたしはあたしであって、他の人じゃないんだもの。あたしが他の人のすることをしようったって、無理なのよ。あたし、あたしだもの。(愛蔵版146pより)

だから、いつまでもあたしは歩き続ける。終着点がなくても。決して猫になれる日が来なくても。いつか猫になる日まで。その日がこないこと知ってても、夢だから。(愛蔵版245pより)

猫=安定した場所・ポジションくらいにとらえると、今までの作家とは違う独特の口語体の文章で文学界を切り拓く、新井素子の作家としての決意表明、なんてとらえることが出来るのかなと。

海野もくず

さて、話が変わるのですが、本作品の主人公 海野桃子のあだ名は、”もくず”です。姓である”海野”からの連想で、”海野藻屑”です。酷いです。

で、このあだ名をつけた親友が、物語の終盤で真意を告白しています。

いつか、あたくしの腕の中から飛び出してもっと遠い所へ行ってしまうってことが判ったから。その日が来て欲しくないって思って……。いつまでもあたくしのこと頼っていてくれるあなたでいて欲しいって――本当は、あたくしがあなたに頼ってたんだけど。だから、あなたに、自分は一人じゃ何もできない、あさみがいてくれないと駄目なんだって思いこませようとして

これがどうしたんだと言われると思いますが、桜庭一樹の”砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない“を読んだことのある方は、ニヤッとするかもしれません。

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