【単巻名作ラノベを巡る旅11】『雨の日のアイリス(松山剛)』を読んで【読書メモ】

さて、今回の名作単巻ラノベを巡る旅は、松山剛の「雨の日のアイリス」です。第17回電撃小説大賞4次選考作で、「このライトノベルがすごい! 2012」第10位、「みんなで選ぶベストライトノベル 2011」感動部門第1位受賞と、泣けると評判の作品です。

雨の日のアイリス

著者:松山剛
イラスト:ヒラサト
文庫:電撃文庫
出版社:メディアワークス
発売日:2011/5/10

ここにロボットの残骸がある。『彼女』の名は、アイリス。正式登録名称:アイリス・レイン・アンヴレラ。ロボット研究者・アンヴレラ博士のもとにいた家政婦ロボットであった。主人から家族同然に愛され、不自由なく暮らしていたはずの彼女が、何故このような姿になってしまったのか。これは彼女の精神回路から取り出したデータを再構築した情報―彼女が見、聴き、感じたことの…そして願っていたことの、全てである。第17回電撃小説大賞4次選考作。心に響く機械仕掛けの物語。

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読んだ感想

今回は辛辣な感想を書いていますので、この作品に感動した! という人は、読まないでください。

この本を読んだ後に感じたことは、泣けることが価値観なのかということ。「世界の中心で愛を叫ぶ」の文庫の帯に、とある女優のコメント「泣きながら一気に読みました」が載ったり、映画のCMでは「全米が泣いた」といってみたり、映画を見て涙ぐむ客の姿が写されたりと、みんなそんなに感動したいのか? といつも思ってしまいます。

幸せな生活から一転して苦難の時期を送り、仲間を得て苦難を乗り越えるという、お涙頂戴物。こういう物語は一番の苦手です。読んでいて遙か昔にアニメで見た(途中で見るのをやめた)「小公女セーラ」を思い出しました。

激しい違和感を感じたのが、ロボットが羞恥心を持ったり、痛みを感じたり、涙を流したりすること。ロボットの話ですが、人間の肉体だけを都合良くロボットに置き換えた話です。人権のない人間ということでいうと、奴隷ものとも言えます。体をロボットに置き換えることで、人間に行うと非常に残虐な行為も、ある程度残虐性は緩和される。でも、やっていることは同じなので、読んでいて嫌な気持ちがなくなることはありません。

ロボットなのに電源を切らずにスクラップにするシーンは著者のサディズムが見える気がしました。こういうシーンを入れることで、感動につなげようとしているのでしょうか。自我もしくは自意識がロボットにあるのが前提なのに、人間側のおこないが酷いわけで。藤子・F・不二雄なら、ドラえもんやコロ助をこんな風にあつかわないでしょう。

序盤の幸福な時間での出来事が後の伏線になっていたり、作中に登場する児童文学にロボットが共感するなど、良く出来ているなとは思います。ただ、自我もしくは自意識を持ったロボットを描きたかったわけではなく、それを使った感動的な話を書きたかっただけのように思えてなりません。それの何が悪いのかと言われればそれまでですが、ロボットが自我を持つことの可否などにいっさい触れられておらず、非常に薄っぺらく感じられてしまいます。

また、3章の最後の方でバッテリーの終了が命の終わりのような描かれ方がされているのですが、電源オフが命の終了なら、それ以降は何なのでしょう。また電源を入れれば復活するので命の終了ではないし、体がスクラップにされても、精神回路が残っていればまた復活するわけで。こういう描き方は、感動させようとしているだけです。

ここまで読んで、腹が立ってしまった人へ。これは50歳を過ぎたおっさんの感想です。感受性豊かな本来のラノベが想定する読者層と、全く違った人間の感想なので許してやってください。ただ、この作品が電撃小説大賞で入賞もせず4次選考作というのは、そういうことだと思われます。

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