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【わが町】大和郡山市の負の遺産!?赤線跡を歩く。【廃墟街】

さて、奈良県大和郡山市のオススメを紹介する【わが町】シリーズ第2回目ですが、今回は負の遺産ともいえる赤線跡を紹介です。

まず、奈良には三大遊郭と呼ばれた場所があります。奈良市の木辻町、大和郡山市の東岡町と洞泉寺町です。なんと大和郡山市には2ヶ所もあったのです。この大和郡山市の2つの遊郭は昭和初期までで、太平洋戦争後は東岡町は赤線となり、洞泉寺町は指定されずただの遊郭跡となりました。

赤線(あかせん)は、GHQによる公娼廃止指令(1946年)から、売春防止法の施行(1958年)までの間に、半ば公認で売春が行われていた日本の地域である。~Wikipediaより

1958年に売春防止法が施行され、赤線は廃止となりました。しかし、この東岡町は「ちょんの間」として、その後も営業され、郡山新地とも呼ばれていました。そして1989年、毎日新聞のスクープ記事をきっかけに、奈良県警の摘発を受け、街は廃れていきました。

ということで、東岡町は遊郭跡であり、赤線跡であり、裏風俗街跡という、あまり大きな声で話せない大和郡山市の負の遺産ともいえる場所であります。1989年の摘発から30年近くたち、普通の住宅も増えてきてはいるのですが、今も遊郭跡をしめす立派な建築物が数軒、残っております。

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東岡町のランドマーク的な存在、木造3階建ての遊郭建築。手前が空地になっているため、写真も撮りやすいのです。それにしても、傷みが激しい。

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入口のガラスは割られ、中を見ることが出来ます。中はぐちゃぐちゃ。

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こちらは長屋風の建物です。旅館の看板が残ってます。

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旅館の看板が残るところは、廃墟のようで入り口は封鎖されておりました。

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こんな街灯も残っております。

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建物の裏手は廃墟らしい風景も見られます。

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入り口だけがモダンになっている建物もあります。

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この建物は借家となっているようで、現在募集中のようです。家賃はいくらなんでしょうかね。

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多分、小便するなという意味の鳥居が描かれていたりも。

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今現在は普通の住宅として利用されているであろう建物もあります。

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少し離れて線路を渡ったところには、こんな和洋折衷の建物も。これも遊郭跡なのでしょうか。

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窓が孔雀のステンドグラスです。素晴らしい。

というわけで、東岡町を歩き回ってきました。先にも書いたように、普通の住宅やマンションも増えてきており、かつての風俗街のイメージもなくなりつつあります。今回紹介した建物の一部は、かなり傷みもあることから、いずれは取り壊されるでしょう。訪れるなら今のうちかもしれません。